2012-06-02

平日探検隊  魚雷編。。

 
 
 


さて、『恋人の聖地』には居る資格がないのでさらに南下し
 
 

今回の目的地であった
 
 
『片島魚雷発射試験場跡』
 

にやってキマシタ。。


 
 

明治19年(1886)、長崎の県北の一寒村であった佐世保浦が軍港に指定され
明治23年(1890)には本格的に港湾施設が整備された。まもなく
佐世保海軍工廠が開設され、この後に始まった日清戦争の主力艦隊はこの佐世保海軍基地から出航した。
 
そして大正7年、佐世保海軍工廠で製造された魚雷を実地で試験発射するための
極秘施設として、ここ川棚町の一画に『魚形水雷発射試験場』が開設された。
 
この試験場から西彼半島北岸の小さな二つの島の中間を発射目標として
発射試験が繰り返されたと言われているが、町民はもとより軍人にさえも
その存在はひた隠しにされていたことから詳しい資料はほとんど残っていない。
 
かつて魚雷の発射試験中に軌道を逸れた魚雷が対岸に突入してしまい、
川棚の秘密基地の存在さえ知らなかった人々を驚かせ
大騒動になったという話が今に伝えられている。。。
 
 

 


↑HPよりパクリマシタ。。。
 
 
 

 


 
 
5連アーチの桟橋。。
 

奥に見えるのは魚雷発射監視所。。


先端から発射した魚雷の軌道を上から観測したそうです。







 
桟橋には魚雷収蔵施設から魚雷を運んだトロッコのレール跡。。


 
 




 
当初は2つあった監視塔。




左は凛と立ち・・・






 
右は力尽きた。。







 
コレは堰板を設置した跡デスネ。。









塔の中はからっぽ。。

今にも剥がれ落ちそう。。





 
まるい窓から見える景色は
 
今も当時も変わらない。。。




平和な時代しか知らないから
 
そう見えるだけかなぁ。。








 
崩れ落ちた部分からは
 
鮮やかな煉瓦がみえる。。





 
傷が赤いのは人間と同じ。。。







 
あっ。。







 
あれは。。。






 
これも関係施設のようですが
 
詳しい資料がないそうです。
 
通路は波に浸食され、桟橋は崩落しているため
 
渡ることはできマセン。。
 
 
中は空っぽですが表面の風化も少なく
 
当時に近い状態が保たれてイマス。。







 
さて、

桟橋につながる”魚雷収蔵施設”に行ってミマス。。











屋根は崩落しつつも

頑丈にしっかりと建っている・・・



なんとも形容しがたい存在感。。






 
下は切石、上は煉瓦。。



 
 



 
近所のお年寄りたちが
 
周囲の草刈りやゴミ拾いをやってくれているらしく
 
整然とし近づき易い。。
 
ありがたいデスネ。。。

 


ただ、発射場付近は釣り人のゴミが目立つなぁ。。。
 
監視塔の中で焚火をした跡もあったし。。。

”持ってきたものを持ち帰る”
 
コレ大事。





 
中に入ると庭園のような空間が広がっている。。









 
壁にかけた絵画から根をのばす。。。

そんな感じ。。


そのうち緑の屋根ができる。





 
壁はポコポコ。。。







 
差し込む光がやわらかいなぁ。。






 
しかし暗い部分はなんとなく当時をおもわせる。。








 
裏口からは大きなお客さん。。


何年かけて入ってきたのかなぁ。。



あら、表の入り口も・・・





 
”アタマ隠して・・・”







 
”シリ隠さず・・・”


そんな感じ。。







 
大きいナァ。。。
 
屋根の高さを越えてる。。。


これまでに伐られなかったのは
 
この場所が忘れ去られていたから。。。


 
 



 
まだまだお空には届かない。。



 




 
珍客がいっぱい。。。
 
お行儀悪いナァ。。。






 
どんな窓がはまってたんだろう。。



 




緑の絵が飾られている。。


 
 



 
床には白いタイルが敷かれ・・・




 



白いテーブル置いたらまるでカフェだな。。。
 
 
 
”魚雷カフェ”
 
客来ない。。






 
ただ、実際ここに置かれたのは
 
テーブルではなく魚雷。。
 
 
船を沈め人を殺す兵器。。



より確実に船を沈め
 
より確実に人を殺す

そんな兵器の実験を行った場所。。






 
しばらくは藪に埋もれ忘れられた場所。

それが再びじぃちゃんやばぁちゃんの手によって開かれた。



何を感じるべきなのか


なんかいろいろ考えた。。。






 
本当の平和を知っているのは

戦争で友達や家族を亡くしつつも

必死に生きたじぃちゃん・ばぁちゃんだけかもナァ。。





 
そして平和があたりまえになった世代の僕たちが
 
平和を感じることは難しい。。 






 
当時は無数にあった軍需施設
 
終戦から67年、現存数は少ない。



不要となって67年間、
 
ここに建ち続ける意味
 
たぶん意味なんてないよナァ。。



使用されなかったからこそ
 
改築もされず
 
邪魔にもならず
 
たまたま残っただけかなぁ。。。







ただ、平和ボケした今だからこそ



”意味なくたまたま残った”この場所に




どんな”意味”があるのか




考える時かもしれマセンネ。。ハイハイ。。。










・・・そして平日探検隊はさらに南下シマス。。。












2 件のコメント:

  1. ヤジクン2012年6月4日 15:15

    久しぶりッス!なんだか、グッと来たよ(T-T)

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  2. ヤジクン
     
    『あぁ、グッと・・・』って、マッチですか。

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